思い出 考察

【ゲーセンの思い出】スト2からバーチャファイター格ゲーブーム

投稿日:2019年10月12日 更新日:

青年期ゲーセン編

自己紹介も兼ねてとんでもないボリュームでお届けしているゲーム研究所所長のゲーム人生を語るシリーズの第2弾がやってまいりました。

自分に興味なくても、ゲームについての考えその当時のゲーム事情などもわかると思いますので、ゲーム研究所のテーマである「ゲームについて真剣に考える」きっかけになれたらと思います。

~少年期 ファミコン編~に続きまして、今回は~青年期 ゲーセン編~になります。

前回の記事を読んでいない方はそちらの記事も合わせて読んでいただけると幸いです。

合わせて読みたい

前回の記事
【ファミコンの思い出】ドラクエからFFの登場による違和感

続きを見る

スト2の登場により空前絶後の格ゲーブーム始まる

今回の舞台は東京都町田市でありまして、東京なのにほぼ神奈川という異国情緒あふれるヤンキーもあふれる街「町田」でゲーセンと共に過ごしたカオスな青春時代のゲームのお話です。

スーパーファミコンの時代ですかね。その頃は家庭用ゲームよりゲーセンに入り浸っていて、最初は町田のSEIYUの屋上でファイナルファイトをやっていました。

初期のカプコンと言えばやっぱりこのベルトアクションと呼ばれるジャンルで、奥行きのあるステージを上下左右に動き敵を倒しながらひたすら横へ横へとベルトコンベアーのごとく進んで行くゲームです。

ベルトスクロールアクションと言えばファイナルファイトと言われるぐらいの名作ですね。

ファイナルファイト

ファイナルファイト
1989年12月14日カプコンからアーケードゲームとして発売されたベルトスクロールアクションゲーム。「ハガー」・「コーディ」・「ガイ」の3人からプレイヤーを選択でき、パンチ、キック、投げなどを駆使し、奥行きあるステージを横へ進みながら多数の敵と戦っていく。投げというシステムが当時画期的であった。2人同時プレイ可能。のちにスーパーファミコンなど様々な家庭用ゲーム機に移植される。

2人協力プレイができて友達と50円玉を湯水のように使い初めてゲーセンのゲームをクリアしたのがこのファイナルファイトです。

ファイナルファイトと言えばやっぱ2面の強敵ソドムですね。あの動きやばいでしょ。2面のボスが最強って。カプコンは昔からアクションが素晴らしいですね。魔界村のレッドアリーマーの動きも絶妙だったし。

そしてファイナルファイトを遊んでいるさなか、のちにメガトン級にゲーム史に名を残すあのゲームが入荷されるのですが、そうストリートファイター2(スト2)ですね。

ストリートファイター2

ストリートファイターⅡ
1991年にカプコンからアーケードゲームとして発売された対戦型格闘ゲーム。前作とはゲーム性に大きな改作を施し、1対1でプレイヤーとプレイヤーが格闘キャラクターを選んで対戦する今日の対戦型格闘ゲームの基礎を築くほど完成された作品。爆発的な対戦格闘ゲームブームを巻き起こす。レバー+6つのボタンで大中小のパンチ&キック、コマンド入力で波動拳や昇竜拳などの必殺技が繰り出せる。移植されたスーパーファミコン版は世界累計販売本数630万本で対戦型格闘ゲーム史上売り上げ1位を記録。

最初は誰も対戦なんてやってる人なんかいませんでした。そもそも対戦台なんかないし見知らぬ人と対戦する文化なんてなかったわけで。波動拳はまだしも昇竜拳をだせたらスゲーみたいなレベルな時代です。

自分はひたすらSEIYUの屋上でコンピューター相手にガイルを使って、ハメパターンを駆使して1コインでクリアできるまでになってました。スト2が初めて1コインでクリアできたゲームです。

満を持してちょっと大きい1プレイ100円のゲーセンに繰り出しました。当然ガイルでやりまして、ちょちょいと四天王ステージまでいくと、普段見慣れないステージなのかバイソンとか見たことない人が多かったらしくギャラリーが増え始め、ベガを倒してクリアした時にはすごい人だかりで拍手喝采レベルになっていました。

こっぱずかしくもあり優越感にも浸れり、スト2人気スゲーって感じでしたね。しかしこの人気は序章にすぎずこれから本当に人気が爆発するわけで。

町田には今はないですがインベーダーハウスっていう古びた50円ゲーセンがありまして、SEIYUにはあまり行かなくなり主戦場はそのゲーセンになっていきました。そのゲーセンで初めて見知らぬ人と対戦しましたね。

最初はやはりみんな1人用しかやってなかったですが、ある時中央の目立つところにスト2台が設置され、「対戦していいですか?」って声かけて見知らぬ人の隣に座って乱入する流れみたいなのが自然にできている感じになっていきました。張り紙が貼られてたかもしれませんが記憶が定かではありません。

ギャラリーも見てる中対戦して日頃の成果出せて勝った時の興奮と喜びってゲーム感が変わるぐらいの衝撃でしたね。連勝すれば50円で何回も遊べてどんどん強くなれるし。

その対戦台は途中で2台向かい合わせで設置され、隣に座らなくてもいいようになり、乱入しやすくなっていきました。そのスタイルが対戦台として次第にどこのゲーセンでも見られるようになっていきましたね。

定かではありませんが自分の感覚ではインベーダーハウスが対戦台発祥の地な感覚です。

その頃出会ってスト2やったあとよく蕎麦とか食いに行ってた奴がスト2ターボの全国大会でかなり上位に行ってたりしたな。

名前も忘れちゃったなー。自分は名前を教えてあげる時あしたのジョー読んでた頃だったからギャグで「矢吹」って適当に言ったら信じちゃってたな。いつの間にかゲーセン来なくなって連絡先も知らないから2度と会うことなかったなー。

youtubeで今でもそいつの映像見れるって新鮮。youtubeで確認したところ、〇本君って言うだね。君もおっさんになってるだろうから別にさらしてもいいよね(笑)

あと、古びたゲーセンあるあるなんだけど、その町田のインベーダーハウスってゲーセンにすんげー格好したヤンキー軍団が来襲したことがあったのです。

「うあ~やべぇ奴らがきたな~。」って思ってて、色んな人にからみ出して小競り合いになったりしたんですよ。自分は幸いからまれなかったんだけど、その中にひときわヤバイオーラを放った奴がいたんですよ。

中学生ぐらいで小さかったんだけど、特攻服みたいなの着て、いかにもヤンキーみたいな髪型したイキった小僧が。妙に印象に残ってたんですよ。

それから何十年経って何気なくテレビ見てたら、昔ヤンキーだった頃の写真!って感じで紹介されてたのが間違いなくそいつだったんですよ!出身も横浜で、横浜線町田駅あるし間違いないです。

そいつの名は、お笑いトリオ「我が家の坪倉さん」です!「坪倉」・「ヤンキー」で検索すると自分が見た時そのまんまの坪倉さんの画像が見れますよ(笑)

バーチャファイターの登場により3D格闘ゲームブーム始まる

それから対戦という文化は当たり前になっていき、自分は3D格闘ゲームのバーチャファイターをやるようになっていきました。バーチャ2登場の時はかなりの衝撃で、秒間約60フレームの滑らかな動きでデモ画面ですらギャラリーが足を止めて見入っていました。

バーチャファイター2

バーチャファイター2
1994年にセガからアーケードゲームとして発売された3D対戦型格闘ゲーム。セガ・AM2研が開発し、当時の最新3DCG基板「MODEL2」を使用。バーチャファイターシリーズの第2作。フレームレートが前作の秒間30フレームから57.5フレーム(サターン版は60フレーム)になり、滑らかな動きを実現。当時スト2と双璧をなす対戦型格闘ゲームで、鉄人と呼ばれるスタープレイヤーも生み出し社会現象になるほどの人気作に。

ポリゴンという立体で表現する技術の登場により、2Dから3Dでゲームを作るっていう試みが増えてきた時代ですね。

そしてカプコンやネオジオの2D格ゲー派と、バーチャや鉄拳の3D格ゲー派に分かれていきました。

町田にあったアテナというゲーセンはバーチャの聖地みたいなゲーセンでした。自分はインベーダーハウスばかりであまりそこには行きませんでしたが、とくに第1回アテナ杯というただの1つのゲーセンで開かれた大会は、今でもゲーム史に名を残すぐらいの伝説として語り継がれてます。

今でもビートライブと名を変えてバーチャ大会やってるぐらいですからね。インベーダーハウスで強かった奴もチーム組んで出場してたんじゃないかな。自分はギャラリーとしてちょこっと見に行ってたけど入れないぐらいのギャラリーですぐ帰ってきちゃった記憶が。

立ち斜上というやばいテクを使った大門ラウをブンブン丸がジャイアントスイングでぶん回す。ロマン意外の何物でもありません。後に鉄人としてブンブン丸とかキャサ夫とかテレビに取り上げられるぐらいの有名人になりましたね。すごい時代だ。

バーチャはだいたい全部やってますが、5無印ぐらいまではけっこうガチでやってました。一番ハマッてガチ中のガチでやってた頃はバーチャ4無印ですね。当時のバーチャ4の聖地新宿西スポとかで仕事帰りにやってました。

カードシステムが導入されて段位システムってのが熱すぎなのです。強さの証明みたいなものでスゲー!と思われるからです。

バーチャファイター4(C)SEGA

バーチャファイター4
2001年8月にセガからアーケードゲームとして発売された3D対戦型格闘ゲーム。SEGA-AM2が開発し、当時の最新アーケード基板「NAOMI2」を使用。バーチャファイターシリーズの第4作。カードシステムとネットワークサービス「VF.NET」を採用し、名前、戦績、段位、アイテムなどの管理ができるように。3で追加になったエスケープボタンが廃止され、レバーによる「避け」を採用。バーリトゥード使いのベネッサと少林拳使いのレイフェイ追加。

十段超えて最初の覇王になったのはバーチャ神と呼ばれるちび太氏でした。小覇王になって十段に十連勝だったかな?当時神レベルに強い人しかなれない十段に十連勝ですよ。

自分も最終的には十段になったりして、西スポの全国大会予選で優勝とかしたことありますが、それがピークですね。エリア大会で瞬殺で負けましたけどね。ロケテ時代から新キャラやりこみ、わからん殺しで勝ててた時代もあるけど、自分なんてプレイ時間の割りに人間性能糞雑魚というのを思い知らされました。メンタルも弱い。

元バーチャ勢で今プロゲーマーとして活躍している板橋ザンギエフ氏と対戦した時のメンタルとか人間性能に関するエピソードとか色々あるのですが、またの機会にしたいと思います。

バーチャ特にバーチャ4以降ってスト2以上に奥が深いんですよ。格闘ゲームで一番難易度高いんじゃないかな。技覚えるのが面倒、出すこと自体も難しい、激ムズコンボ、ヒット確認、足位置確認、屈伸、投げ抜け、複数投げ抜け、避け投げ抜けなど、様々なテクを習得しないと同じ土俵にすら立てなかったりします。
未だに投げ抜け苦手だし。

「避け」の導入でより戦略的に劇的に面白くなったけど、難しくもなった印象です。初心者じゃ絶対に中級者や上級者に勝てないですね。

アーケードで毎日のように対戦していた自分と、対戦したことないけど家庭用でCPU相手にやりこんでた兄貴と100回ぐらい対戦したんですが、結果は100戦100勝0敗でしたよ。まじです。しかも持ちキャラじゃないキャラクター使って舐めプしてもです。

これがバーチャファイターシリーズが衰退した最大の理由ですね。対戦型格闘ゲームで一番難しくて奥深くて面白いと思ってますが、奥深いからこそ、敷居が高すぎて力の差がですぎてしまい初心者お断りな状況になってしまっています。

格ゲー自体そういう所がありますが、バーチャは特に初心者が上級者に追いつくのは至難の技ですね。

まとめと次回予告

ということで中学三年生ぐらいからけっこうな大人になるまでゲーセンに入り浸っていた頃のお話でした。本当に懐かしい。

ファイナルファイト、スト2、バーチャファイターを中心に書きましたが、本当はカプコンのガンダムゲー「連ジ」などにもハマったなー。

俺ゲルググ、彼女(嫁)シャズゴでタッグ組んでよく新宿で対戦してました。彼女とゲーセンの大会に出場して3位になったりとかも(笑)。ロンブーの亮さんと対戦したこともあったなー。

今はもうゲーセンに行くことはほぼなくなりましたね。家でオンライン対戦できて対戦し放題ですからね。リアルで顔合わせて対戦するからこそ味わえる経験もあるからなー。喧嘩になったりすることもあったけどね。ゲーセン文化がなくなっちゃうのはさみしいなー。

当時から思ってましたが格ゲーとか対戦ゲーってスポーツなんですよ。テニスのラケットがレバーとボタンになっただけでスポーツとなんら変わらない。日頃の鍛錬、相手との駆け引き、一瞬の判断、集中力、忍耐力、メンタルなど「心」・「技」・「体」すべて使いますからね。

それ故、人間性能というものを思い知らされました。1発でできちゃう人もいるし、1万回やってもできない人もいる。すぐ心が弱気になる人もいれば、ものすごい負けず嫌いな人もいる。勝負の世界で一流の人はみな負けず嫌いということもわかりました。

今はゲームがeスポーツとして認められてきて、日本でもプロゲーマーという職業が認知されてきています。当時からすると信じられないというか良い時代になってきたものです。

続いては格ゲー熱も一段落したころにドハマりすることとなるゲームの思い出です。

合わせて読みたい

つづきの記事
FF11
【MMORPGの思い出】FF11カオスな神ゲー廃人生活

続きを見る



記載されている会社名・製品名・システム名などは、各社の商標、または登録商標です。
(C)CAPCOM CO., LTD. ALL RIGHTS RESERVED.
(C)SEGA

-思い出, 考察
-, , ,

Copyright© ゲーム研究所 , 2020 All Rights Reserved.