最近のゲームがつまらない理由→不自由と自由がゲームをつまらなくする
投稿日:2020年10月29日 更新日:
最近どうもゲームがつまらない、買ってもすぐやめちゃったりそもそもやらなくなっちゃったりしてる人って多いと思います。
それは大人になったから、他に娯楽が増えたから、価値観が変わったからなどなど様々な理由があると思いますが、
ここはゲーム研究所ですからね。コンセプトでも言っているように小学生からゲームとは何ぞや?ということを考えてきて、最近というか昔から少しずつ違和感を感じてきた根本的問題なのです。
いやいや待ってください。最近ゲームがつまらなくなったことを外的要因にしたがる傾向にありますが、果たしてそれでいいのでしょうか?
ゲームがつまらないならゲーム自体がつまらないと考えるのは当たり前なことです。目を背けてはいけません。
自分は某掲示板で、昔からゲームに感じる不満ぶちまけていました。最近久しぶりにまたぶちまけてみて、意見を交わしてるうちに自分の考えもまた深まっていった感があります。
そのぶちまけた考えをまとめる意味でも今回記事にしたので、賛同なり反論なりしてもらって、このブログのテーマでもあります「ゲームについて真剣に考える」きっかけになれたらと思います。
主にRPGをやった時に感じた考えが中心になっていますが、全てのゲームにも通じることだと思っています。
不自由と自由がゲームをつまらなくする
よくRPGとかで自由度っていいますが、やはり多くの人はゲームをやっていて自由や不自由といったものには敏感に感じるからだと思います。
自分もゲームをやっていて何でこうしたいのにこうできないんだ!という不自由を感じたりします。
不自由がゲームをつまらなくする
強引な誘導
不自由に感じることでよくあることは、強引な誘導です。代表的な例では1本道RPGとかムービーゲーと呼ばれるものでしょう。
RPGってとくにプレイヤーのやれることが多く、ドラクエなど昔のRPGは世界を自由に大冒険している感覚を味わえるゲームでした。それが時代が流れるにつれ自由を感じられなくなることが多くなっていった感があります。
FF7リメイク
FFの登場でRPGでも主人公がしゃべるようになり、勝手に行動し寸劇し、やがてそれはムービーとなり、ムービーゲーと呼ばれるようになっていきました。
多くのRPGはその手法を模倣し、RPGは映画のようなストーリーを楽しむ受け身なゲームという風潮が強くなっていった感があります。
開発者の考えたストーリーを矛盾なく追わせるために、行動が明らかに制限されていきました。
FF7リメイク
最近プレイしてこのブログでも取り上げられているFF7リメイクを例にだせば、ストーリー重視のあまりストーリー上のチャプターという範囲でしか移動ができません。
そのせいで装備やアイテムの取り逃し、クエストをやるタイミングなどに強制感があり、ゲーム全体としての攻略性、ゲーム性の幅が狭くなってしまっています。(クリア後なら可能)
過度な親切
強引な誘導と通じるものがありますが、過度な親切もまた不自由に感じることがあります。
FF7リメイク
またFF7リメイクを例にだすと、ダンジョンなどであえてハシゴを降りようとしたら、仲間に強制的に制止されたりする場面がありました。
ゲームという観点から見れば、正解に辿り着く為に失敗をするのがゲームであり、失敗を無くし正解を教える行為はゲームを捨てている行為です。
スマホ版ドラクエ1
過度な親切で一番腹が立ったのはスマホ版ドラクエ1をプレイした時ですね。小学生の頃、ファミコン版ドラクエ1をプレイして思い出深かった竜王の城の玉座の後ろの隠し階段。
普通の階段を降りてしまい行けども行けども竜王に合うことができない。おかしいと思って引き帰し、試行錯誤して隠し階段を見つけた時の驚きと達成感は今でも忘れません。
それが、スマホ版では隠し階段の場所をキラキラ光らせて一目でわからせてしまってます。もはや隠し階段でもなんでもありません。
隠し階段だけではありません。その他キーアイテムの場所もキラキラ光らせ、ドラクエ1の少ない容量でどうやって面白くなるかを考えて作ったゲーム的仕掛けを全て台無しにしてしまっています。
キラキラ目指して何も考えず進むだけ、強引な誘導しているようなもので結局は不自由を感じる行為です。
スマホゲームだからってゲームをぶち壊してまでお手軽にしていいんですか?こんなことを良しとしていてはゲームがつまらなくなるのは当然です。
自由がゲームをつまらなくする
どこへでもどこからでもやれる自由の問題点
自由度が高いゲームとして真っ先に思いつくのはオープンワールドゲームと呼ばれるものでしょう。
オブリビオン
代表的なタイトルとしてはオブリビオン、スカイリム、GTAなど広大で異常なまでに作り込まれた世界を、自分の好きなように冒険できると言われるゲームです。
昔のRPGと違ってはじめから遠くへ行くことも可能であることが多いです。オブリビオンなんて始めから遠くへ行けつつある程度敵が歯ごたえあるようにするためか、自分のLVが上がれば敵のLVも上がるというとんでもない仕様です。
LVの意味は?成長したからこそ強い敵を倒せるようになって色んなとこ行けるようになる喜びは?戦略性は?あらゆる物を破壊してるってことに気づいてるんですかね?
そしてオープンワールの特徴といえばクエスト。無数に散りばめられたクエストと呼ばれるイベントを任意の順番で攻略していくというのが基本構造となっています。
広大な世界に無数に散りばめられた基本任意なクエストがあり、ある程度歩いたり、クエストを進めたりしているうちに、どんどん増えていく感じですね。
多くのオープンワールドで採用しているこのクエストシステムに問題があると考えます。
ゴーストオブツシマ
最近プレイしたゴーストオブツシマを例に出すと、マップに次から次へと、何かあるポイント、何かはじまるポイントが記されていきます。ということは100%そこに何かあるという正解が記されていくということです。
逆に言うと記されていない場所にはたいした物はないということです。そして、ほとんどがそのポイントがトリガーとなっており、その場所からはじまります。(例外はある)逆にいうとその場所にいかないと何もはじまりません。
結局クエストを選んで常に指示され動くことが効率いいことになり、自由に探索する意味がなくなってしまうのです。
ゴーストオブツシマ
しかもゴーストオブツシマでは、逐一次行く場所が記され、風がルートを教えてくれて、キツネが導いてくれたりします。自分の考え、意思などは必要なく、ただの操り人形で探索感なんてほぼ皆無です。
どんな出来事でもピコーンとクエスト通知で正解をばらし、自分で気づくという未知の探索感を無くし、依頼じゃないものまで依頼にし、100%正解が約束された依頼だらけの世界にしてしまっているということです。
なんでもできる自由の問題点
なんでもできるなんでもやれる世界って本当に面白いですか?世界がリアル世界のように物理演算で処理され、色んなものを壊したり、運べたり、転がったり、食べたり、時には殺したりすることができる。
別にそれができること、できる自由は悪いことではない。ただ、それができたとしてゲーム的にそんなに意味のないことならただの現象であってそれは本当に面白いのか?たとえそれが面白かったとしてもゲーム的な面白さとは違うはず。
ゲーム的に意味を持たせないでただできることを増やして自由だ!すごいだろ!と言ってもゲームにはならない。ただのシミュレーターとなってしまう。そんな薄っぺらな自由を作って自由だとアピールしているゲームがオープンワールドには多い気がします。
あと、最近のゲームは自由を優先するあまり、ゲーム的障害を薄めての自由を作ろうとするから当然ゲームではなくなっていくことになります。
FF7リメイク
敵が強いと感じれば、自分の適性な難易度に変えてしまえる自由。オブリビオンは難易度バーがあり、いつでもどこでも細かく難易度を調整できちゃいます。FF7リメイクは経験値稼ぎAP稼ぎ、裏ボス挑戦条件突破はマゾじゃない限り誰しもEASYモードでやっているでしょう。
ゲームの難易度は自分の経験と工夫で下げるからゲームなわけで、それが攻略なわけで、安易な難易度調整機能はそういった楽しみを奪うゲームの根幹を揺るがす行為なんです。
ゲームをやる気ない人に合わせてEASYモード搭載してゲームぶち壊してるゲームが多すぎます。悲しい。
自由とは自分の意思で動くこと
このブログで何度も言ってきたことですが、自由とは自分の意思で動くことです。自分の意思で考えることでもいい。
ドラクエ1
ドラクエ1は、竜王討伐以外、ほぼ誰からも指示されたりしません。自分の考えやわずかな情報をたよりに、手探りでギミックを解きつつ世界を探索していきます。
ドラクエ2
ドラクエ2では海に放り出され、やまびこの笛もって、船で世界中を飛び回って紋章を集めます。怪しい所や、勘や、ヒントなどから笛ふきまくり、やまびこが返ってきた時の喜び。
今のオープンワールドに比べたら小さい世界だったかもしれませんが、果てしなく広大に思えました。広大な世界を自分の意思で冒険している感覚。正しく自由そのものでした。
どこにでも行けて何でもできる自由な世界があったとしても、そこに自分の意思が伴わず、強制的にやらされていたり、何も考えず死んだようにただ生きていたら自由と言えますか?そんなものは不自由な世界です。
そして、たとえ狭い世界でやれることが限られてたとしても、自分が本当にそうしたいと思って自分の意思で動いていれば自由を感じることはできます。
行ける道が少なくても多くても、結局は辿った道をなぞればどちらも1本道なわけで、自分の意思で進んだ道なのかが重要なのです。
自分の意思で動いてなかったら自由を感じられるわけないですよね。当たり前なことなんです。
ゲームとしての自由とはゲーム性の幅の自由度
今のゲームの自由は、何でもできる、どこへでも行ける、できることをできるだけ増やす、時には神の視点で気軽にルールさえ変えてしまえる、何でもありなことが自由だと思ってしまっています。
そもそも、不自由があるからこそ自由を感じることができ、不自由だからこそどうするか考えてゲームになるわけです。
ゲームとしての自由とは、何でもできる自由のことではなく、プレイヤー自身の考えで動く、考える余地やゲーム性の幅の自由度のことと言えるのです。
足し算の発想と引き算の発想
足し算の発想で膨れた無駄
コンピューターゲームが誕生して50年近く立ち、膨大に増えていった容量、足し算の発想で、よく考えもせずどんどん無駄が増えていきました。
自分から言わせれば無駄というかほとんど害なのではと思えるほどです。わかりやすく、親切を理由に、過保護にプレイヤーを誘導するシステムの数々。
ワールドマップを取り入れて事細かに情報を表示、膨大なクエストを散りばめたはいいが、どれも代り映えのしない作業の連続だったり。本当に必要なのか疑問に思うものばかりです。
初期の頃のゲームは今とは比べ物にならないぐらいの限られた容量しかありません。その限られた容量だからこそ誤魔化しなんかは使えずいかに面白くなるかを考えました。
ドラクエ1
いかにしてドラクエ1が生まれたのか?制作秘話つづったマンガを紹介しながら考察した記事もありますので良かったら合わせてお読みください。
≫ ゲームクリエイターになるにはマンガ「ドラゴンクエストへの道」を読むべし【必読本】
引き算の発想で生み出す面白さ
ダークソウル3
フロムソフトウェアのデモンズソウル、ダークソウルシリーズはワールドマップもなければクエストもありません。昔のRPGでは当たり前なことをしているだけです。
ムービーゲーやオープンワールドの時代でも影響されることなく、自分たちが面白いと思うスタイルを貫いています。
昨今の足し算の発想で膨大に膨れ上がった要素を、引き算の発想でシンプルにして原点回帰しているからこそ生み出された面白さ。
デモンズソウルの素晴らしさを語った記事もありますので良かったら合わせてお読み下さい。
ゲームとは何かをあらためて考える
ゲームの定義
ゲームがつまらないと感じたならば、ゲームに問題があるはずと考える上で、そもそもゲームとは何なのか?というのをあらためて考える必要があります。
ゲーム(英: game)は、勝負、または勝敗を決めること。守るべきルールがあり、環境または他人との相互作用を元に行なわれる活動である。日本語へ取り入れられた際にプレイ(英: play)と混同され、国内では和製英語として「遊び」や「遊戯」の意味で使用されることもある。
引用元:Wikipedia
ウィキペディアによると、勝敗があり、守るべきルールがあるものがゲームということのようです。勝ち負けというのは、勝ちを目指すのが目的であり、目的へ向けて時には負けることもあるということですね。困難をいかにして突破してゴールを目指すのかというのが基本原理です。
プリミティブ(根源的)なゲームの面白さ
ジャンケンには明確なルールがあり、相手が何を出すかを読み、勝敗が明確に決定するゲームです。
レゴなどはパーツごとの組み合わせの縛りはあるものの、明確なルールが無く、勝ち負けなどが通常存在せず、何を作るか目的も人ぞれぞれです。
ゲームというより、自由な発想で考える面白さを重視した創作する遊びだと思います。
ゲームにはゲームになっているからこそ味わえる面白さがあります。ルールがあって、勝ち負けや失敗成功が存在することによって生まれる感情です。
それがゲームのプリミティブ(根源的)な面白さなわけです。
明確な目的(強制)と不明確な目的(自主性)のバランス
明確な目的がなければ意味もなく動いてるだけでゲームにはなりにくいですが、明確な目的を与えることで意味を見出しゲームになっていきます。
しかし、ゲーム側が示した明確な目的というのは、時として強制的になるということです。これをやれ!ということですから。
ポケモンGO
初期のポケモンGOは明確な目的はないですが、図鑑を埋めるというのが心理的にほとんどの人が自然と目的になるようになっています。
適当に散歩したり、特定のポケモンの巣になっている公園に出向いたり、ミニリュウ集めに上野行ったり、ラプラス目指して始発でお台場行ったり、徒歩で5つの巣をまわれるルート開拓したり、ほとんど自分の考えで目的を定め行動している感覚で強制感はほとんど感じませんでした。
それが最近では、期間限定で伝説レイドや色違いポケモンなど頻繁にイベントが開催され、やらなければ損をする心理で強制的にやらされている感覚になると痛感し、昔の頃に感じた面白さはあまり感じません。
先ほどレゴはゲームじゃない創作する遊びと言いましたが、目的が不明確なものでも時にはゲームにもなりうる場合があります。
それはレゴに限ったことではありませんが、自分の中でゲームっぼさゲーム的な面白さを感じれば、それはもう自分の中ではゲームなんです。
例えばレゴで、パーツを1万個使って1週間以内に前回よりクオリティーの高いライオン仕上げると明確に強い思いで取り組んでればそれはもう自分の中ではゲームです。ルールも勝敗も自分の中にはあるということですから。
しかも、それは誰に言われたわけではなく自分の意思で決めてやったことならばその思いは大抵強い。
ゲーム側が明確に与えた目的はゲームになりやすいが強制感がでやすい、ゲーム側が明確に目的を与えない場合はゲームになりにくいが強制感は出にくい、自分なりの目的を見つけられればゲームになり、自主性が働きその思いは大抵強い。
そんなバランスでゲームはできているのではないかと思うのが自分の結論です。
- 明確な目的(強制)→ゲームになりやすい→弱い意志or強い意思
- 不明確な目的(自主性)→ゲームになりにくい→強い意志
あつまれどうぶつの森
あつ森などは、ゲーム側が適度に目的を与え自然とやれることが増えていきながら、自主的に自らの意思で作りたい思える目標ができていくので、適度な強制と自主性に委ねるバランスが凄く考えられていると思います。
ゲームとは自分の意思を作ること
自由とは自分の意思で動くことと言ってきましたが、ゲームとは自分の意思を作ることと言ってもいいのではないか。
自分の意思で動くことが自由を感じることですが、そのプレイヤーの意思を生み出す為にゲームを作る、ゲーム性を作ることが一つの方法ということ。
目的を与えれば自分の意思を生むが、強制感が強ければ自分の意思ではなくなったりもする。目的が与えられてなくても自分が本当にそうしたいという意思で動いているということは目的があることと同じ。
自分の意思で動いているということはそうしたいからしてるのであって面白いはず。
オープンワールドでゲーム的にあまり意味のないことをやっても面白くないが、その人にとって価値を見出し、自分なりの目標に向けて、自分の強い意思で動いていれば面白くもなる。ゲームが生み出す面白さと変わらない。
意思というのがゲームの核であり、ゲームの面白さなんではないかと思いますね。
- 自由とは自分の意思で動くこと
- ゲームとは自分の意思を作ること
- 意思=ゲームの核=面白さ
ゲームを取り戻すには
原点に立ち返れ
ドラクエ1
自分が昔のドラクエとかで味わえた面白さって、ゲームでしか味わえない面白さ。それがゲームの原点とか本質とかプリミティブな面白さです。
膨大に膨れ上がった容量で、映画のような迫力のある映像とストーリー、広大な世界の物量と作り込みなど、ゲームじゃない要素でも圧倒できてしまいます。
それは悪いことではないが、それを誤魔化しに使ったり、それに頼ったり、ゲームを作っているということすら忘れて作ってしまっている気がします。
ゲームでしか味わえないゲームという武器を持っているのに、なんでその武器をちゃんと使おうとしない。
映画、小説、レゴ、シミュレーター等では表現できない、圧倒的な武器を持っているのに。
古臭いゲームを作れと言っているわけではないですが、もう一度原点を見つめ直してゲームの面白さを考えてほしいですね。
時代に合わせてたら時代は作れない
SEKIRO
フロムソフトウェアの理念は、面白いゲーム、価値あるゲームを作るという考えで作っているそうです。だからこそ認められGOTY(ゲームオブザイヤー)も獲れるような作品も作れたのだと。
ちなみにGOTYを獲ったSEKIROはゲームオブザイヤーエディションが発売されるのでまだプレイしていない方はこの機会に是非。
売れ線ばかり狙うのは、結局面白いゲームを考えられない二流三流の人がやることです。
理想論かもしれませんが、売れるゲームを作ろうと思って作るのと、面白い価値あるゲームを作ろうと思って作るのと、どっちが面白い作品ができるかは明白。会社にとってもユーザーにとっても業界にとっても後者が長い目でみたら得だと思っています。
時代に合わせてたら時代は作れません。時代を作るのが超一流です。格闘ゲーブームを作ったスト2、アクション全盛の時代にドラクエ、ムービーゲーの時代にデモンズ。
追記
フロムの集大成と言っていい作品、エルデンリングがついに発売されました。驚異的な売り上げとメタスコアを叩き出しています。古き良き時代のRPGの面白さをを正当に進化させた真のオープンワールドだと思ってます。考察記事を書きましたので良かったら合わせてお読み下さい。
≫ エルデンリングが他のオープンワールドと一線を画す神ゲーである、たった1つの理由
さらに追記
エルデンリングが世界の主要4大GOTY(『Golden Joystick Award』『The Game Awards』『D.I.C.E. Awards』『Game Developers Choice Awards』)を全て獲得しました。スカイリム、ブレワイに続いて史上3本目です。
優秀なクリエイターの育成
結局の所、面白いゲームが無いなら自分で作ってしまえばいいのです。しかし、いくら面白いアイデアを持っていたとしても、それを形にするには技術的に様々なスキルが必要なわけで、作ろうとする前に断念してしまう人がほとんどでしょう。
素晴らしい感性を持った人材が埋もれてしまっては勿体ないことです。
ゲーム制作の敷居を下げ、窓口を広げて環境を整えていけばればおのずとゲーム制作人口が増え、優秀なクリエイターが生まれやすくなります。
近年その敷居や窓口がだんだんと広がってきているのは感じていて、最近ではプロが使うゲーム開発ツール、アンリアルエンジン4(UE4)やUnityを個人でも無料で使うことができ、企業レベルのゲームを制作することも可能です。個人でゲーム制作をしたり、ツールを使いこなしてゲーム制作会社への就職を目指したりと可能性が広がりますね。
以前当ブログで紹介したYoutuberのHytacka氏は、UE4を使って個人で世界一面白いアクションゲームを目指して制作しており、企業から1000万の資金援助を貰えるほどの評価を受けています。
≫【UE4ゲーム制作】個人でソウルライクな神ゲーを目指す猛者現る
しかし、このようなツールを本気で使いたいと思ってもわからないことだらけで、始める前から諦めてしまったり、自力だと効率的に覚えられず膨大な時間を費やしてしまうかもしれません。
大学や専門学校でゲーム制作を学ぼうと思っても当然授業料はかなり高額になってしまうでしょう。
そこでおすすめなのが、今の時代オンラインでゲーム制作を学べる講座があり、わずか3か月でUnityでの2Dや3Dゲーム制作が学べます。しかも資格まで取れてしまうというものです。
ドラクエ8やポケモンGO、原神といったさまざまなゲームはUnityで制作されており、アンリアルエンジンほど高スペックなPCを必要とせず、個人から企業まで使われている世界シェアNo.1を誇るゲーム開発プラットフォームです。
以下は、他社と比較してもかなり手頃な価格設定でUnityを手っ取り早く学べるので、すぐにゲームデザイナーの一歩を踏み出せます。
\ 3か月でゲーム制作を学べる!/Unity通信講座
まとめ:つまらない=不満
ゲームには人それぞれ好みがあり、もちろんどんなゲームがあってもいいのです。
ですが、あえてそういうゲームにしてるならいいが、親切とか自由を履き違えてる結果、そういうゲームになってたりします。自由を売りにしてるのに自由じゃないみたいな。
そして、ゲームでしか味わえない面白さ、原点を忘れてしまってはゲームの意味がなくなってしまうということです。
最近のゲームがつまらないというのは、そういった最近のゲームに対する不満と言い換えてもいいかもしれません。
今回はそういったゲームに対する不満や考えを日々抱いており、某掲示板でも意見をぶちまけていたので、それらをまとめてみました。
そもそもこのブログを立ち上げたのはゲームに対する不満をぶちまけたかったのもあります。
追記:続編的な記事を書きました!この記事と合わせて読んでいただけたらと思います!
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追記:さらに続編的な記事を書きました!もう1つの世界を作りたいと思っていた自分だからこその視点でメタバースをぶった斬ります!
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